「手紙」の昔の言い方を知っていますか?
その昔、手紙は「玉梓(たまずさ)」「文(ふみ)」「消息(しょうそこ)」と呼ばれていました。
それぞれ、いつ使われていた言葉なのでしょうか。
この記事では、手紙の昔の言い方・古風な呼び方について、次のことを紹介します。
- 手紙の昔の言い方(玉梓・文・消息)
- 手紙に言い方が変わったのはいつ?
- 「玉梓」「文」「消息」は死語なのか?
記事を読むことで、手紙の言い方の語源・由来がわかりますよ。
手紙の昔の言い方は「玉梓」「文」「消息」
手紙の昔の言い方・古風な呼び方は「玉梓(たまずさ)」「文(ふみ)」「消息(しょうそこ)」と言います。
それぞれ、いつの時代から使われていた言葉なのか、詳しく見ていきましょう。
「玉梓」は万葉集の時代から載っている言葉
「玉梓(たまずさ)」という言葉は、万葉集の時代、つまり8世紀ごろから使われている言葉です。
玉梓は、便りを運ぶ使者が使っていた「梓の杖」から転じて、手紙のことを指すようになったと言われています。
万葉集の中には「玉梓」という言葉が17首使われています。
- 黄葉の散りゆくなへに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ(柿本人麻呂)
- いつしかと待つらむ妹に玉梓の言だに告げず去にし君かも(大伴三中) など
平安時代には「文」「消息」が使われていた
平安時代になると、「文(ふみ)」や「消息(しょうそこ)」という言葉が使われるようになりました。
「文」は、手紙や書状全般を指す言葉として広く用いられ、「消息」は、特に個人間のやり取りや、遠く離れた人への情報伝達を意味していました。
なお、平安時代にかかれていた手紙のほとんどは「恋文(ラブレター)」だったと言われています。
「手紙」という言い方になったのは江戸時代ごろから
「手紙」という言葉が一般的になったのは、江戸時代ごろからです。
文字通り「手で書かれたもの」という意味を持つこの言葉は、より広範な層の人々が文字を書くことができるようになり、手紙が一般的なコミュニケーションツールとして用いられるようになったことを示しています。
また、江戸時代には商業活動も盛んになり、手紙を介した情報のやり取りが重要な役割を果たすようになりました。
ちなみに、江戸時代の手紙は「飛脚制度」という、リレー方式で走って届けられていました。
足の丈夫な武士達が選ばれていた飛脚制度により、「江戸(東京)〜大阪」を3日ほどで走って届けていたとのこと。
手紙の昔の言い方「玉梓」「文」「消息(しょうそこ)」という言い方は死語なのか?
「玉梓」「文」「消息」という言葉は、現代では一般的には使われなくなっているので、死語同然と言ってよいでしょう。
しかし、文学作品や歴史的な文書、小説などで使われることがあります。
これらの昔の言い方を知ることで、手紙の歴史や文化をより深く理解することができます。
まとめ:手紙の昔の言い方・古風な呼び方は「玉梓」「文」「消息」
手紙の昔の言い方について解説しました。
- 手紙の昔の言い方は「玉梓(たまずさ)」「文(ふみ)」「消息(しょうそこ)」
- 玉梓は万葉集の時代から使われている言葉
- 平安時代には「文」「消息」という言い方が使われていた
- 「手紙」という言い方は江戸時代から使われるようになった
- 「玉梓」「文」「消息」はほぼ使われない言葉になった
「手紙」という言葉は、江戸時代ごろから使われて始めた言葉ということがわかりましたね。
今後、どのように言葉が変わっていくのか気になるところですね。
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