「花火」の昔の言い方を知っていますか?
花火の昔の言い方…、聞いたら驚きますよ。(たぶん)
この記事では、「花火」の昔の言い方・古風な呼び方に加えて、
花火大会でよく聞く「た〜まや〜」や「か〜ぎや〜」の掛け声の由来について紹介します。
- 花火の昔の言い方
- 花火の由来
- 「た〜まや〜」と「か〜ぎや〜」って何?
記事を読むことで、花火の昔の言い方・歴史がわかりますよ。
花火の昔の言い方は「花火」
花火の昔の言い方は、なんと「花火」です。(そのまんまかーい!)
日本初の打ち上げ花火と言われているものに、江戸時代の「二之丸立花火」があります。
すでに「花火」という文字が入っていることから、当時から「花火」という言葉が使われていたことがわかります。
ここでは、花火の歴史について、もう少し詳しく見ていきましょう。
花火は鉄砲伝来と共に日本に入ってきた
花火の技術は、もともと6世紀頃に中国で生まれました。
中国では、火薬の発明とともに花火も発展し、さまざまなイベントで使用されるようになりました。
日本に花火の技術が伝わったのは、鉄砲が伝来した時期とほぼ同時とされています。
1543年にポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲の技術が日本に伝わりました。
この際に、花火の技術も一緒に伝わったと考えられています。
日本初の打ち上げ花火は徳川家康の時代?
日本で初めて打ち上げ花火を見た日本人は、徳川家康であったとする説が有力です。
『駿府政事録』には、「二之丸立花火」の記事があり、ここで初めて打ち上げ花火が記録されています。
この打ち上げ花火は、1613年に英国王ジェームズ1世の使者、ジョン・セーリスが駿府城で披露したと伝えられています。
この記録から、日本における打ち上げ花火の歴史が始まったことがわかりますね。
花火のときの「た〜まや〜」「か〜ぎや〜」は昔の何の言い方?
花火大会などで「た〜まや〜」「か〜ぎや〜」という掛け声を聞くことがありますが、これは昔の花火屋の名前に由来していたのです。
「た〜まや〜(玉屋)」「か〜ぎや〜(鍵屋)」は、花火屋の名前
江戸時代には、「たまや(玉屋)」と「かぎや(鍵屋)」という二大花火屋が存在しました。
これらの花火屋は、江戸の花火大会でしのぎを削るライバルでした。
(鍵屋が師匠、玉屋が弟子として暖簾分け)
鍵屋や玉屋を応援する見物客が、自分がひいきにしている花火屋の花火が上がると、「た〜まや〜」「か〜ぎや〜」と声をかけて応援していたとのこと。
そのときの名残が、今でも続いているのです。
(すごいですね!)
「か〜ぎや〜」よりも「た〜まや〜」の方が多い理由
「た〜まや〜」はよく聞くけど、「か〜ぎや〜」はあまり聞かないな…
と思っている方も多いかと思います。
「た〜まや〜」の方が「か〜ぎや〜」よりも多く叫ばれる理由は二つあります。
一つは、技術的に「玉屋」が優れていたという説。
もう一つは、語呂が良かったという説です。
確かに「た〜まや〜」の方が「か〜ぎや〜」よりも言いやすいような気がしますよね。
しかし、そんな玉屋も、1843年(天保14年)、大火事を起こして江戸から追放され、廃業しました。
わずか30年ほどの短い期間で、玉屋は廃業に追いやられてしまったのです。
対する、鍵屋は、なんと今も続いています。
現在の当主は15代目の女性、天野安喜子さん。
今でも花火屋の最前線として活躍している「鍵屋さん」。
今度から花火大会では「か〜ぎや〜!」と叫んで、鍵屋さんの応援してあげたいですね。
まとめ:花火の昔の言い方は「花火」、玉屋・鍵屋は花火屋さんの名前
花火の昔の言い方について解説しました。
- 花火の昔の言い方は「花火」
- 花火は、鉄砲伝来と共に伝えられたと言われている
- 日本初の打ち上げ花火は、徳川家康の時代の「二之丸立花火」
- 「た〜まや〜」「か〜ぎや〜」は、花火屋の名前【玉屋】【鍵屋】
- 鍵屋は現在も続いている
花火の昔の言い方は、「花火」でした。
また、花火大会で聞く「た〜まや〜」「か〜ぎや〜」は、江戸時代の有名花火屋【玉屋】【鍵屋】を応援する伝統が今でも続いているのです。
ぜひ、花火大会に行ったときには「玉屋」と「鍵屋」の豆知識を披露してみてくださいね。
当ブログでは、いろいろな「昔の言い方」を紹介・解説しています。
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